旦那様の人柄の良さが伝わってくるほのぼのとしたエピソードです。こんな素敵な旦那様と結婚できてほんとうにお幸せなのではないかと思います。この先もいろんな、素敵な発見がありますように!
「素敵な発見がある」
吉田 久美さん(34才、岩手県在住)
“岩手から栃木に車で行くことを、新婚旅行っていうの?”私の頭は疑問符でいっぱいだった。いくら予算がないからって、近すぎないか。
「私は横浜の遊園地がいい!」
「俺、都会の人混み苦手なんだよなぁ。」
結局向かったのは、夫が好きな日光東照宮。”まぁ、行けば何か素敵な発見がある、きっと。”車の中で自分にそう言い聞かせた。
着いてみると、どこもかしこも団体客でいっぱいだった。ガイドさんの説明を聞く中年女性たち。白い帽子に茶色いバックで、みんな同じような格好だ。その後ろに立って、ちゃっかり一緒に話を聞いている夫。
“修学旅行か!”心の中で突っ込んだ。甘いムードも何もない。
ふと横を見ると、さっきまでいたはずの夫がいなくなっている。
「あれっ。」
あわてて回りを見渡すと、夫は女性のグループにカメラを頼まれていた。三猿と同じポーズを決める彼女たちを、ニコニコ笑顔で撮っている。
「ごめんごめん。」
終わって戻ってきたと思ったら、すぐにまた姿を消した。
「今度はどこに……えっ、また?」
夫は三組続けてカメラを頼まれていた。笑顔だけが取り柄というだけあって、頼みやすいようだ。私は思わずプッと笑ってしまった。いつもすぐそばにいる夫を、少し離れた所から見るのは、何だか新鮮だ。なるほど、人のよさが全面に出ている。
“私もあの笑顔にホレたんだもんなぁ。”
そのニコニコ顔の彼が自分の夫だと思うと、幸せな気持ちになった。やっぱり、旅先には素敵な発見が待っている。
その他の応募作品
カップルの数だけエピソードがある、平凡なものから爆笑もの、ワイルドなものまで、たくさんの旅のカタチをご紹介します。
残りの人生も呑気に
山木幹雄さん(64才、栃木県在住)
「どこへ行く?俺は金沢へ行きたいな」
「いいわねえ、金沢はきれいな町らしいわ」
新婚旅行へ行くと決めた日の朝。家の近くの駅。切符売場で相談した。三十七年前の三月だった。二月に式を挙げたが、旅行のことは何にも決めていなかった。でも何とか旅行が始まった。行く途中では、後年『狩人』の歌で有名になった『あずさ二号』にも乗れ、快適な旅だった。
金沢駅に着いた。降りしきるぼたん雪が、私達を出迎えてくれた。案内所で紹介された宿は普通の旅館だった。ところが夕食時の器がすばらしかった。九谷焼の皿や小鉢等が、料理を引き立てていた。さすが九谷焼の町金沢だな、と感激した。
「明日は何をする?俺は九谷焼が買いたいな」
「私は兼六園へ行きたいわ。町も見たいな」
雪にけむる兼六園。美しい格子戸を持つ商家の街。落ち着いた武家屋敷など、伝統美にあふれた古都金沢の冬を満喫した。
そして九谷焼。欲しいものが沢山あり、選ぶのに迷った。でも最も気に入った秋草文様の木米の徳利と盃が買えた。妻も、四季の花文様の中皿を一揃い買って嬉しそうだった。
「ここまで来たんだから、輪島へも行きましょうよ。朝市がみたいわ」妻が言った。
「そうだね。輪島塗のはしでも買うか」 輪島の旅館では、新鮮な甘海老が、食卓をたたきたくなる程おいしかった。輪島塗は、洗練された芸術品だ。目の保養になった。
旅行が終わる頃、小事件が起きた。新品のコートを駅に置き忘れてしまった。「大丈夫。戻ってくるわ」妻が励ましてくれた。後日無事戻った時は、大変嬉しかった。
行き当たりばったりの新婚旅行だったが、それなりに楽しい思い出ができた。その時の徳利と盃で、晩酌を楽しんでいる。
残りの人生も、新婚旅行のように、呑気に楽しく暮らしたいと思う。
瀬戸内海の島々
上田哲次さん(62才、福岡県在住)
三十年前の四月下旬、結婚した私。妹の紹介が縁だった。最初に出逢ったのが一月十五日。
話がトンゝ拍子に進み、双方の両親どころか張本人である我々二人さえ驚いてしまった程だ。式場も、運良く一ヶ所だけ、希望の日が空いており、早速予約した。招待状も、私の手描き原稿を元に印刷し、好評だった。
披露宴も終えた翌朝、我々は新婚旅行へ旅立った。東京経由の北海道旅行である。東京には、学生時代の友人も多いので、寄ってみたかったし、北海道は、我々二人共、初めてだった上、花々が美しい季節だったからだ。
その上、先輩の協力で、格安で行けたからである。到着すると、まずレンタカーを借りた。
走れどもゝあまり変わらない壮大な風景。どこまでも澄んだ蒼い空・・・。私は深呼吸を何回しただろうか・・・。北海道を廻った我々は、帰路も東京で一泊。往路とは違うメンバーを、悪友があつめてくれていた。・・・・・・。
あれから既に三十年。真珠婚と言うらしいが、まだ買えないでいる・・・。
お礼はいりません!
竹内祐司さん(49才、愛知県在住)
今から24年前。結婚一周年の新婚旅行での出来事です。え?結婚一周年で新婚旅行って?そうですよね。私は大学を卒業し就職して即結婚したのです。給料は少ないし、仕事は山のようで休みなんてとれませんでした。
一年たって、上司が、「休みやるから新婚旅行へ行ってこい」と言ってくれ、車で熱海の温泉へ行きました。楽しかった。一年間がむしゃらに二人で走りましたから。帰りの高速を降りるときに妻が悲鳴をあげました「財布がない!」パーキングでご飯を食べた時は支払いをしたのだから、と妻は、記憶をたどりました。
「車に乗るとき、ドアをしめないで、バッグに財布をいれたけど、あの時落としたんだ」
たぶん出てこないだろうと思いました。警察のかたに財布の特徴を話していると、別の警察官がちかづいてきました。
「今、財布を拾ったっていう人がいて、特徴が一致したから、持ってきてくれるそうだ」
私たちは手をとりあって喜びました。しばらくして、おじさんが入ってきました。その手にもっている財布を見て、妻が「あっ!」と叫びました。妻の財布でした。 その人は、書類に記入して、財布を私たちに渡すと、行こうとしました。
妻が「少ないですけど、お礼です」と言いました。
するとそのおじさん「そんなために持ってきたわけじゃない」と行こうとしました。
でも、せっかくの善意にこたえたくてお願いしました。おじさんは、手を振りほどいて行こうとします。その時、警察官がおじさんを後ろから羽交い絞めにし妻に目配せをしました。妻は、おじさんのポケットにお金をいれました。おじさんは最後まで、
「やめろ!いらん!やめろお!」と抵抗していましたが最後には観念(?)してお金を受け取ってくれました。
それを見て、二人の警察官は「いい話じゃないか」と笑っておりました。
忘れられない、吉本新喜劇のような出来事でした。
ニュージーランド南島周遊の旅
小林直さん(53歳、京都部在住)
入社まもなくの6月の式だったので周囲を唖然とさせた。新婚旅行は正月休みに「NZ南島周遊」に予定。日本は冬だがNZは初夏らしい。「いつ夏服に着替えるの?」大命題だ。
●エピソード(1) クライストチャーチ
英国風の端正なまち。レンタタンデムで周る。教会の下で小休止。商店街のシャッターが夕刻5時に一斉に閉まる。30分後には辺りに人影が無い。労働時間を厳格にしている訳だ。NZ人は外で飲む習慣も無いらしく「NZハズバンド」に象徴される様に「家での暮し」を大切にする。ペンキ塗りや営繕・園芸・家事等されると添乗員さんに聞く。私はあえて今回は予備知識無し。まず「NZドル」からして無理解。「京都学生国際ガイド研究会」で出遭った君は頼りになるナビゲーター。信頼している。夜が9時になっても暮れる気配が無い。「今、飲まないでいつ飲むの?」と君が言う。北半球で言う「白夜」を体験している。見事な自然の演出に乾杯!なのです。
●エピソード(2) マウントクック
山麓に広がる野原一面に自生の「ルピナス」(昇り藤)の花が咲き乱れて大パノラマ状態。世界にはこんな絶景があるのかという驚きです。山麓を「夢うつつ」でハイキングして戻る。写真を撮り忘れているのです。私は「写真旅行派」ですが、そんな事があるのです。愉快です!
●エピソード(3) 名も無い湖
ミルウォードサウンドOPは止めて、小さな湖を散歩する。時間がゆ~くりと流れる。心地よい涼風。琵琶湖の北(湖北)の余呉湖に似ている。「Tシャツの 君の胸元 高からず」(虚子原作)を君に贈る。どう感じたのかは永遠の謎です。
●エピソード(4) 帰路
パプアニューギニアで給油。元旦のカウントダウンと樽酒割り。一杯頂く。世界の旅客機で今年のフライト第1号便という事で「お目出度い」雰囲気と一緒に関空に向かった。
初めて「奥さん」と呼ばれた日
多喜田百合子さん(65歳、神奈川県)
結婚したのは、寒い時期でした。新婚旅行は南九州で仲人さんが、「どこか希望がありましたら・・」とおっしゃいましたが、別に私のほうからは言えませんでした。
実は密かに北海道への憧れがありましたが、費用もそちらの方が高そうだったので私からは何も言えませんでした。今では海外へ行く人も多いようですが、昭和49年頃はまだ珍しかったのです。
宮崎や鹿児島は初めての地で、感動もありました。旅行客は5組くらいでしたが、皆新婚旅行の人ばかりで、どこに行っても同じカップルが列車やバスやホテルで見かけました。当時女性は帽子を被っている人が多く、ひと目で新婚旅行と分かるほどでした。外の景色と同時に、そのことが気になっていました。
どこのホテルでも夕食には洒落た料理が盛りだくさんで、特に鹿児島のホテルの御馳走が思い出に残っています。広いホールに丸いテーブルがいくつも並び白い制服を着たボーイさんが立っていました。慣れぬ私は緊張して思うようにその御馳走を食べれませんでした。まだまだ、私もあの頃は初々しかったのですね。
そして何より印象に残っているのは、お土産品店でお店の方が私に「奥さん・・・」と、おっしゃたのです。生まれて初めて言われた「奥さん」のその言葉が強く印象に残っています。
あれから40年近く経ちました。あの時のあの地にもう一度旅してみたい、そして今度は出された料理を思い切り堪能し、舌鼓し、旅の醍醐味を味わってみたいものです。
八丈島へ新婚旅行
大西一郎さん(68歳、兵庫県)
36年ほど前になりますが東京都の竹芝桟橋から八丈島に新婚旅行した事があります。
11月でしたので天候が不順で風が強く船は、うねりで大きく左右に揺れ歩くことも困難でしたが船酔いもせずに数時間後に八丈島に着きました。
現在の港は、どうなっているか知りませんが、その当時、港がなく漁船に乗り換えた事を記憶しています。その時に漁船から投げたロープが頭に当たり痛い目に負った経験をしました。
しかし下船すると島内は人影も、まばらで殆ど人を見ませんでしたので2人のだけの世界になった気分になり、大いにリラックスしました。
宿泊はホテルで2~3日滞在しましたが夕食の料理は多く、味は美味しかったですが食べ切れませんでした。
朝食を終えると島内を探索しましたが黄八丈の織物の場所の見学、流民の島であったことを知るなどして、また多くの記念写真も撮り2~3日を過ごしました。
帰りは島から飛行機を利用して羽田空港で降り、新幹線に乗り換え帰路に着きました。
鹿に起こされた新婚旅行
鈴田浩二さん(69歳、横浜市)
今風にいうならばついち同士で所帯を持った私たち夫婦は、丹沢山へハネムーンに行った。お互い30過ぎだったからそれまでの人生の垢がある。惚れたはれたもあったが人生の同行者を求めていた者同士がめぐり合ったともいえる。
互いに身内には紹介した。が、晴れがましいことは一切なし。しかもバブル期真っ最中でクレーン・オペレーターを生業としていた私には休暇がとれなかった。
当日も午後からしか時間が取れず、翌日だけが休めるという按配だった。嫁ぐことはできたが、であった。自然のふところが無性に恋しかった私は丹沢行を家内に相談。若いころは野山へのハイキングが趣味だったとのことだから、さほど抵抗感はなくこの私の案に家内は同調してくれた。
当時車を所有することは中流のステータスだった。私も論外ではなかった1200CCのカローラにコンロと食料、寝袋を積み込んで出発した。登山が目的ではない。仙人風になってみたかったのだ。
宮ガ瀬ダムの建設が始まっていた頃だった。城山ダムを見てから丹沢登山道付近で車を捨てた。ブナの林が生い茂っている時季、野宿の予定だから必需品を分けて背負った。
高畑山から大山が夕闇前のかなたに眺められた。日が暮れた。固形燃料を使って家内が晩飯を作った。私はペットボトルに詰め替えた酒を呑んだ。集めておいた枯葉枯れ枝がちろちろ燃えている。私は仙人になった。やがて眠りに落ちた。
家内の悲鳴で目が覚めた。
物音に目覚めた家内が目前にしたのは、十分に生育した鹿だった。悲鳴に驚いた鹿も逃げ腰で私らを見つめてる。寝袋から出ようとすると鹿は、悠然と立ち去った。まるで、今日は勘弁してやる、といった面持ちだった。
焚火の後に放尿した。
わずかだが灰が舞った。