ハネムーンでフランスを訪れるなら、パリ・モンサンミシェルともう一つ、ここヴェルサイユ宮殿は外せません!そこで、今回は実際にヴェルサイユ宮殿を取材してきました。
1回目はヴェルサイユ宮殿に入場するためのチケット攻略法と行き方(アクセス)をご紹介。
2回目はヴェルサイユ宮殿の歴史と見どころを。
3回目はヴェルサイユ宮殿と同じ敷地内にある離宮、「グラン・トリアノン」「プチ・トリアノン」「庭園」をごご案内しましょう。
豪華絢爛で力強い宮殿とはまた違う、優雅な美しさがそれぞれにあり、歴史的背景を知るとそれがまた興味深いです。
でも注意点がありまして、宮殿は開館時間が9時ですが、グラン・トリアノンとプチ・トリアノンは12時なのです。なので宮殿内部と庭園、全部見る場合は両方の開館時間を考慮して回ってくださいね。
それではさっそくご案内いたしましょう。
1.広大な宮殿!有料ですが便利な移動手段は3つあります
2.昼食や休憩に便利なグランカナル
3.バラ色の離宮グラン・トリアノンの歴史
4.ナポレオン好みに改装された現在のグラン・トリアノン
5.マリー・アントワネットの離宮プチ・トリアノンの歴史
6.離宮プチ・トリアノンの見どころは?
7.離宮プチ・トリアノンの敷地には村里(?)まであり
8.ギロチン台の上で、波乱万丈な生涯を終えたマリー・アントワネット
9.究極の人工美「ヴェルサイユ庭園」
10.ヴェルサイユ庭園見学、季節ごとの注意点
11.庭園のハイライトは「ラトナの泉水」
12.庭園を隅々まで見たいなら自転車レンタルもおすすめ
13.ヴェルサイユの離宮「グラン・トリアノン」「プチ・トリアノン」「庭園」の見どころまとめ
ヴェルサイユ宮殿ハネムーン大特集INDEX
- (1)ヴェルサイユ宮殿への行き方とチケット攻略法
- (2)ヴェルサイユ宮殿の歴史と見どころ
- (3)ヴェルサイユ宮殿の離宮「グラン・トリアノン」「プチ・トリアノン」「庭園」紹介
- (4)ヴェルサイユ宮殿街歩き
- (5)ヴェルサイユ宮殿で楽しむグルメ
広大な宮殿!有料ですが便利な移動手段は3つあります
ヴェルサイユ宮殿の敷地は1,000ヘクタール(東京ドーム200個分以上)と広大。例えば宮殿からグラン・トリアノンまで歩くと30分近くかかります。
そこで歩かないで移動出来る方法が3つあります。
- プチ・トランに乗る
- 自転車を借りる(パスポートが必要)
- カートを借りる(国際運転免許証が必要)
これらはすべて有料になります。
「プチ・トラン」は便利だけど妊婦さんは要注意!
今回私は、乗り降り自由の8ユーロのプチ・トランに乗ってみました。これはやはりとても便利でラク。
ただし、ガタガタと揺れがものすごくてびっくり!何度も悲鳴を上げてしまったくらいです。
乗りながら、これはお腹に赤ちゃんがいる方は絶対に乗っちゃだめだと思いました。妊婦さんは乗らない方がいいです。
プチ・トランは季節によって変わりますがだいたい10~20分おきに出ています。乗り場は、庭園テラスに立ち、宮殿に向かってすぐ左脇です。
順路はレストランやカフェが集まるグランカナル、グラン・トリアノン、プチ・トリアノンとなっております。詳しい情報は公式ホームページをご覧ください。
昼食や休憩に便利なグランカナル
プチ・トランで最初に停車するのが、グランカナル(大運河)そばのカフェ・レストランが集まる一角です。
グランカナルは全長35m。水源のなかったヴェルサイユにセーヌから水を引いて作られたものです。貸しボートもあります。
グラン・トリアノンとプチ・トリアノンの開館時間が12時なので、その前にここで降りて昼食をとったり、休憩するのにもよいと思います。
バラ色の離宮グラン・トリアノンの歴史
プチ・トランで次に到着するのがグラン・トリアノンです。
ルイ14世の公妾(こうしょう)だったモンテスパン侯爵夫人フランソワーズ・アテナイス(1640ー1707)のために、1672年に作った離宮です。
当初は磁器タイルが使われましたが、その後国王の首席建築家マンサールにより、バラ色の大理石を使ったこの建物に改築されました。
建物の中央は吹き抜けの回廊になっています。
黒と白の大理石タイルが敷き詰められ、バラ色の柱や壁との美しいコントラストと目の前に広がる整然とした庭園が印象的。
野心家・モンテスパン夫人の謀略
ここでスキャンダラスな公妾として有名なモンテスパン夫人についての、恐ろしく悲しい物語を少し。
夫人は名門貴族の出身で妖艶でふくよかな美女。23歳の時に名門貴族だったモンテスパン侯爵と結婚します。
しかし野心家の夫人は、以前から王の公妾の座を狙っていました。そして会話術にも長けた夫人は、ルイ14世の心を見事につかみ、公妾の座につきます。
でも実は王の愛を独占するために、怪しい媚薬を使って黒ミサを行う女魔術師ラ・ヴォワザンの元に通っていました。
黒ミサは生まれたての赤ん坊を生贄にし、その血を身体に浴びせるなど残虐なもの。裏でそのような恐ろしいことをして、何も知らない王との間に7人もの子供を持ち、女王のような存在になっていきました。
王の新しい恋人を毒殺しようと狙うモンテスパン夫人
しかし出産太りと加齢により美貌が衰えていきます。そんな時に若く美しいフォンタンジュ嬢をルイ14世が見初めます。
夫人は黒ミサでルイ14世とフォンタンジュ嬢の毒殺を企てます。同じ頃、ルイ14世は警察に内密で黒ミサの調査をさせていて、大勢の貴族たちの関与と共に夫人の毒殺計画を知ります。
ついに夫人は公妾を追われます。でも王との間に生まれた子供の母ということで、宮殿内にとどまることは出来ました。しかし人々の嘲笑の的になっていたといいます。
王の寵愛を失い自ら修道院へ
その後ルイ14世は、子供たちの教育係りとして宮廷に入っていた穏やかな人柄の庶民出身のスカロン未亡人(後のマントノン侯爵夫人)を愛するようになり、2人は秘密結婚をします。
そして1686年、モンテスパン夫人は自ら修道院での生活を選び、1707年、67歳で生涯を閉じます。これはブルボン王朝最大のスキャンダルと言われているんです。
グラン・トリアノンはマントノン夫人との離宮へ
1688年に改築されたこの大理石の離宮はルイ14世とマントノン夫人が使いました。
フランス革命の時は荒廃しましたが、ナポレオン1世の時代に修復され、ナポレオンと2番目の妻である皇妃マリー=ルイーズが住んでおります。
今見ることが出来る家具や調度品はナポレオン時代のものとなっております。
ナポレオン好みに改装された現在のグラン・トリアノン
ナポレオンはここを邸宅にするのあたり、すべての家具を取り換え、帝政様式にしております。
帝政様式とは、ルイ14世時代の豪華絢爛なバロック様式や、ルイ15世時代の華やかな装飾と曲線などを多用したロココ調と反するスタイル。直線的で過度な装飾を抑えシンプルなのが特徴です。
鏡の間
この鏡の間はブルーが基調ですっきりとしています。煌びやかでゴージャスな宮殿の鏡の回廊とは雰囲気がまったく違いますね。
皇妃の寝室
皇妃マリー=ルイーズの寝室は女性らしいローズが基調。
ゴーン氏が結婚式で使用したファミリーサロン
ナポレオン失脚後、1830年からここに住んだフランス最後の王ルイ=フィリップ1世(1773-1850)とナポリ王国出身の王妃マリー・アメリー(1782ー1866)のファミリーサロン。
落ち着いた黄色が基調です。
マリー・アメリーの母は、オーストリアの女帝マリア・テレジアの10番目の娘のマリア・カロリーナ。
11番目の末娘がマリー・アントワネットなので、マリー・アメリーはマリー・アントワネットの姪にあたります。またナポレオン1世の妻であるマリ-=ルイーズもマリー・アントワネットの姪。
この時代のヨーロッパの国々は政略結婚が多かったため、血縁関係で婚姻を結ぶことが多かったんです。
現在で、このグラン・トリアノンは迎賓館として使われ、国賓を招いての晩餐館などが開かれております。
ヴェルサイユ宮殿の戦史の回廊に続いてになりますが、あのカルロス・ゴーン氏が2016年10月に自分の結婚披露宴を開いたのがこの離宮なんですよ。
マリー・アントワネットの離宮プチ・トリアノンの歴史
プチトランで次に停車するのがプチ・トリアノン。波乱に満ちた生涯を送ったマリー・アントワネット(1775ー1793)が安らぎを求め、フランス革命が起こる1789年まで過ごした離宮です。
ルイ15世の公妾ポンパドゥール侯爵夫人の邸宅として完成
ここは元々はルイ15世の公妾ポンパドゥール侯爵夫人ジャンヌ=アントワネット・ポワソン(1721ー1764)の邸宅として、建築家アンジュ=ジャック・ガブリエル(1698ー1782)によって建てられたもの。4年の歳月をかけて1768年に完成しました。
ポンパドゥール夫人の名を一度は聞いたことがある方も多いかと思います。
平民ではあるけれどブルジョワな資産家の家に生まれ、貴族と同じ教育を受けた夫人は高い教養とその美貌でルイ14世の目に留まります。
公妾になると、政治に関心がなかった王に代わり、政治の世界でも手腕を発揮。しかし湯水のようにお金を使ったとも言われております。
宮廷サロン文化が花開き、ロココ様式の傑作に
夫人を中心に宮廷のサロン文化が繁栄し、ロココ様式が流行。ロココの華とも言われた女性なんです。この離宮は内部の優美な装飾がロココの傑作とされております。
しかし離宮の建設中、ポンパドゥール夫人は42歳の若さで肺の病気で亡くなります。そして1769年、その次の公妾になったデュ・バリー夫人(1743ー1793)がこの邸宅の所有者となります。
ルイ15世の美しき愛妾、デュ・バリー婦人の邸宅に
美しいデュ・バリー夫人の肖像画が飾られていますね。
デュ・バリー夫人も有名なフランス王の公妾の1人。本名はマリ=ジャンヌ・べキュー。
貧しい家に生まれ、一時期は娼婦同然の暮らしをしていたと言われております。しかしデュ・バリー子爵に囲われ、そこで貴族や著名な学者の夜の相手をし、社交界でのマナーのスキルを身につけていきます。
そしてポンパドゥール夫人を亡くし、長く落胆していたルイ15世の心をとらえ、公妾となりました。やはり相当の美貌の持ち主で、性格的にはおおらかで明るい女性でした。
マリー・アントワネットから嫌われ、修道院へ追われるデュ・バリー婦人
しかし、1770年に王太子ルイ・オーギュスト(後のルイ16世)との政略結婚でヴェルサイユに14歳でやって来たマリー・アントワネットに強烈に嫌われることになります。
理由は出目の悪さと公妾という立場。
宮廷ではずっとマリー・アントワネットに無視され続けましたが、1774年、ルイ15世が64歳で天然痘になると修道院へ入るよう命令が出されます。そして王が亡くなり公妾の立場は5年であっけなく終わります。
そのデュ・バリー夫人が去った後、ルイ16世からこの離宮を与えられたのがマリー・アントワネットです。
ヴェルサイユ独特の慣習になじめなかったマリー・アントワネット
宮殿では決められた分刻みのスケジュールをこなし、夫婦の営みや出産も公開などヴェルサイユ独特の慣習と役目を負担に感じていたマリー・アントワネットは、数年後この離宮を生活の中心にします。
庭園を自分好みの中国・イギリス式にし、館内も自分の好きな世界に作り上げ、ここでお気に入りの家来や親しい貴族だけを集めて過ごすようになります。
夫であるルイ16世さえも許可がないと立ち入ることが出来ませんでした。このプチトリアノンは、ヴェルサイユでの華やかな姿とは違う私的なマリー・アントワネットを知ることが出来る場所と言えるかもしれません。
実物とはかなり違う!?かなり“盛ってる”肖像画
マリー・アントワネットの美しい肖像画がたくさん残っています。しかしこの時代、政略結婚ではお見合い写真のように肖像画が使われることもあって、盛られて描かれることが多かったんです。
実際のマリー・アントワネットは鼻とあごに特徴があり、絶世の美女というのとは少し違ったようです。でも身長154㎝と小柄ではあるけれど、身のこなしに誰もが見とれる特別な魅力がありました。
性格的には無邪気で活発で飽きっぽい面があったようです。
そして旦那さまであるルイ16世は、地味で小柄で小太り、というイメージが定着しています。美男子(そして女性好き)だったと言われるルイ15世とは真逆です。
しかし実際には190㎝を超える長身で、しかも語学堪能で博学。太陽王と呼ばれた(よ、呼ばせた?)ルイ14世や、赤字夫人と呼ばれたマリー・アントワネットのような浪費家でもありませんでした。
前の王たちのような公妾も置かなかったんです。
離宮プチ・トリアノンの見どころは?
先ほどお伝えした通り、マリー・アントワネットが自分好みに仕上げたプチ・トリアノン。ちょっとギラギラした(?)印象のヴェルサイユ宮殿とは異なり、繊細で洗練された内装が特徴となっています。
お供の間
ここは離宮中心にあるサロン。マリー・アントワネットが、家来や貴族と音楽やダンスを楽しんだ場所です。
豪華絢爛煌びやかなヴェルサイユ宮殿とは違って、ここは白が基調の柔らかい雰囲気。いたるところに繊細なポワズリー(壁や天井に彫刻などが施された飾り)があって、女性らしさが感じられます。
中央にはマリー・アントワネットが特に好きで、自らも弾いたハープがあります。ハープは18世紀前半にオーストリア・ウィーンからフランスに持ち込まれたもの。
マリー・アントワネットによって宮廷やサロンにかかせない楽器になりました。
王妃の寝室
こじんまりとした寝室は、可愛らしい花柄が使われていてラブリー。ヴェルサイユ宮殿のマリー・アントワネットの寝室も豪華な花柄で、彼女の好みが伝わってきますね。
浴室
浴室もかなり小さめ。実はこの浴室のすぐ隣に小さなおトイレもあるんですよ。
豪華なドレスや宝石が好きで、ファッションや香水の流行を自ら生み出したマリー・アントワネット。一見派手好みに感じられる一方で、この離宮では温かい雰囲気を作り上げ、服装もコルセットなしの動きやすいドレスで髪を下ろしていることもあったそう。
また、ヴェルサイユ宮殿にいた時は、うっぷんを晴らすためパーティーや賭博に遊び惚けていましたが、子供が出来たのをきっかけに賭博をやめております。
離宮プチ・トリアノンの敷地には村里(?)まであり
マリー・アントワネットがここでの生活になってからは、主に離宮の敷地内にある劇場やパヴィヨン(あずまや)でパーティーやコンサート、演劇を楽しむようになります。
その後奥に人工の村里まで作り、自然(?)に囲まれた暮らしを好むようになります。
愛の神殿
1778年に建てられたギリシャ風の大理石の愛の神殿。ここは、マリー・アントワネットが特別な関係だったと言われている、スェーデンの貴族アクセル・フォン・フェルゼン伯爵と会っていた(とされる)場所です。
長年2人は愛人関係かプラトニックな関係か、と議論されておりますが、マリー・アントワネットからフェルゼン伯爵に送った1792年1月の暗号が使われた手紙が現在解読されています。
そこには「愛する人、私はあなたを狂おしいほど愛しています」と書かれていることがわかっております。プラトニックでも愛情はあったのでしょうねぇ。
ところでここを歩いていて、2人が逢瀬を重ねるにはあまりにも人目がつく場所だなと、首をかしげてしまいました。たとえ親しい貴族や家来たちが皆知っていたとしても360°どこからでも逢瀬が丸見えなんです。
ここでそっと会うかしら…という疑問が過ぎったのは内緒。
王妃の劇場
1780年に建てられた劇場。マリー・アントワネットは宮殿の貴族たちを招き、自ら女優として舞台に立つこともありました。
宮殿での貴族たちの嫉妬、噂話、中傷にうんざりしていたため、時には貴族をおちょくる芝居もあったとか。
内部は当時のまま残っておりますが、修復中で非公開となっております。以前ドキュメンタリーで内部を見たことがありますが、小規模ではありながらとても美しいです。
再び公開される日が早く来るといいですね。
パヴィヨン・フランセ
もともとはルイ15世とポンパドゥール夫人のために1750年に建てられたもの。
マリ-・アントワネットは舞踏会やパーティー、コンサートに使用しました。建物の上の天使の彫刻が印象的です。
王妃の村里(アモー)
哲学者ジャン=ジャック・ルソー(1712ー1778)の「自然に帰れ」という思想に影響を受けたマリー・アントワネット。
人工の池の周りに水車小屋やいくつかの農家を作らせ、実際に農民を住まわせます。
農家では作物が作られ、羊や豚などの家畜も育てられ、それが王妃の食卓に上がっていました。
ときにはマリー・アントワネット自身も子供たちと畑仕事をすることがあったようです。でもそれもすべて王妃の農民ごっこ。
フランスが長く財政難に陥っていたにも関わらず、細部まで本物らしく作られたこの村里には莫大な費用がつぎ込まれていました。
「パンがなければお菓子を食べればいい」はマリー・アントワネットのことばじゃない!?
同じ頃、本物の農民たちは財政難に加え大干ばつが起ったため、パンを手に入れることさえできず、野垂れ死にする者が後を絶ちませんでした。この時マリー・アントワネットが言ったとされる言葉「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」は有名ですね。
でもこれは元々ルソーが1764年から1765年にかけて書いた自叙伝「告白」の中にあった文章。
この時マリー・アントワネットはまだ9、10歳でオーストリアにいたのです。長年マリー・アントワネットが言ったこととして、利用されたというわけです。
フランス革命に利用された!?マリー・アントワネット
国の赤字についてもルイ14世、ルイ15世の時代に多くの原因があり、19歳で王位についたルイ16世はそれを負わされたのです。
それにしても、マリー・アントワネットが民衆の苦しみに目を向けず、国のお金を浪費していたのは事実。
この事実が誇張され、意図的に利用され、民衆の怒りはマリー・アントワネットへと向けられていきます。
王妃の館
フランス革命が起こる2年前、1787年に建てられた、マリー・アントワネットが親しい貴族たちと過ごすための王妃の館。
しかし、その貴族たちの多くが、革命の波にのまれていった時に王妃を置いてここからいち早く逃げ出し、海外へと亡命しております。
長年非公開でしたが、クリスチャン・ディオールの資金援助によって修復され、2018年からガイド付き限定10ユーロで見学が出来るようになりました。
「王妃の館」公式ホームページ、画面下にある「Le Pettit Trianon de Marie-Antoinette」から見学予約可能です。
ギロチン台の上で、波乱万丈な生涯を終えたマリー・アントワネット
1789年10月5日、国王と議会に訴えるため、女性を中心とした市民が武器を片手に行ったのが「ヴェルサイユ行進」。ルイ16世がパリに連行されたこの事件を、マリー・アントワネットはプチ・トリアノンで知ったといいます。
国王一家はチュイルリー宮殿へと身柄を移され、その後マリー・アントワネットは2度とプチ・トリアノンに戻ることはありませんでした。
そして1793年1月21日。ルイ16世のコンコルド広場のギロチン処刑に続き、同じ年の10月16日、同じコンコルド広場でマリー・アントワネットもギロチン処刑。
波乱万丈なその人生に幕が下りたのです。
この約1ヶ月半後、マリー・アントワネットが忌み嫌ったルイ15世の公妾デュ・バリー夫人もまたギロチン処刑になっております。
そして、マリー・アントワネットの愛人と言われたフェルゼン伯爵。彼女が処刑された17年後、1810年にスェーデンの王太子クリスチャン・アウグストの暗殺を疑われ、葬儀が行われていた広場で民衆によって撲殺されます。
全裸で側溝に投げ込まれるという悲しい最期でした。
グラン・トリアノンとプチ・トリアノンをご紹介しましたが、どちらも混雑している宮殿と違って人が少なくとても静か。ゆったりと見ることができます。
何より歴史と重ね合わせながら見るととても興味深いものがあります。宮殿だけ見て終わるのはもったいないな、と思います。
せっかくのフランスハネムーンですから、その国の歴史にもぜひ触れてほしいと思います。
▼関連記事
・マリー・アントワネットが最後に過ごした、牢獄コンシェルジュリー
<Information>
グラン・トリアノン&プチ・トリアノン共通
開館時間:4月~10月 火曜~日曜日12時~18時30分/11月~3月 火曜~日曜日12時~17時30分
休館日:月曜日
究極の人工美「ヴェルサイユ庭園」
最後はヴェルサイユ庭園をご紹介いたしましょう。
設計したのはフランス式庭園を完成させたアンドレ・ル・ノートル(1613ー1700)。世界でも最も有名な造園家の1人で、ヴォー=ル=ヴィコント城の庭園やチュイルリー庭園も手掛けております。
フランス式庭園は左右対称で、花壇や木々などが幾何学的に配置され、整然としているのが特徴。究極の人工美と言えます。
庭園も重要であると考えていたルイ14世は、1661年の宮殿建築の着手と同時に建設を進めます。そして元々は水源のない荒れた土地にセーヌから水を引き、壮大で豊かな森を作り上げました。
完成するまでに何と約40年という歳月がかかっております。
この庭園が自慢だったルイ14世は、庭園案内の手引書を作り、ここに入ることが許された民衆に配りました。庭園を見た民衆は、王は自然をも変えることが出来る、ということを見せつけられたといいます。
ヴェルサイユ庭園見学、季節ごとの注意点
ル・ノートルのフランス式庭園の代表とも言われるヴェルサイユの庭園。こちらもぜひ見ておきたいところです。
ただし注意点があります。
上この写真を撮ったのは冬。このように冬は、彫刻のほとんどにカバーがかかり、水辺の水も止められていて、本来の美しい姿を見ることができないことが多いんです。
冬には冬の美しさがあり、しかも空いているのでゆっくりと見学するには良いです。でも彫刻もしっかり見ておきたいなら春夏が良いでしょう。
春夏の庭園が下の写真です。
これは初夏ですが、緻密に配置された彫刻を眺めながらの散策はとても清々しいです。
庭園に散りばめられた噴水や池にも水がたっぷり張られています。一面にこの日の淡い夏空が映っておりますね。
見ごたえのある「ラトナの泉水」
太陽王アポロンの母ラトナが、村人から泥を投げられても息子を守ったという物語が描かれた泉水。
中央にアポロンを守るラトナの像、その足元に神の怒りに触れ、カエルやトカゲに姿を変えられた村人たちの像が並んでいます。
歴史家の中には、10歳の時に寝室にまで反乱軍が押し寄せるフロンドの乱(貴族による王権強化政策に対する反乱)を経験したルイ14世が、自分と母アンヌ・ドートリッシュをこの物語に重ね合わせたと言う人もいます。
ルイ14世は、太陽王アポロンに太陽王である自分を重ねたのでしょうか。
庭園を隅々まで見たいなら自転車レンタルもおすすめ
庭園にはこの他にもアポロンの泉水、バッカスの泉水、フローラの泉水、ジランドールの木立、星の木立など見どころがたくさん。
とにかく広いので、庭園もすみずみ見ようと思うとかなりの時間が必要になります。気持ちのよい季節なら自転車を借りて回るのも楽しいかもしれませんね。
<Information>
ヴェルサイユ庭園
開園時間:4月~10月 火曜~日曜日8時~18時/11月~3月 火曜~日曜日8時~20時30分
休館日:月曜日
ヴェルサイユの離宮「グラン・トリアノン」「プチ・トリアノン」「庭園」の見どころまとめ
フランスが誇る世界遺産ヴェルサイユ宮殿とその離宮、庭園を2回に分けてご紹介してきました。いかがでしたでしょうか。
歴史と人間模様に思いを馳せながら見ると、さらに感慨深いものがあるかと思います。
ここはじっくり時間をかけての見学がおすすめです。
4回目はヴェルサイユの街をご紹介させていただきます。歴史ある街並みにゆったりとした空気が流れ、パリ郊外の雰囲気がたっぷり味わえます。お楽しみに!
ヴェルサイユ宮殿ハネムーン大特集INDEX
- (1)ヴェルサイユ宮殿への行き方とチケット攻略法
- (2)ヴェルサイユ宮殿の歴史と見どころ
- (3)ヴェルサイユ宮殿の離宮「グラン・トリアノン」「プチ・トリアノン」「庭園」紹介
- (4)ヴェルサイユ宮殿街歩き
- (5)ヴェルサイユ宮殿で楽しむグルメ