友人のご主人がベランダでたばこを吸おうとサッシを閉めたら、愛犬が追いかけてきて、飛びついた拍子に鍵がかかり、ベランダに閉じ込められるという悲劇に。家族は外出中で部屋に入れず大変だった……。なんていうよく似た、エピソードを思い出してしまった編集部員Iです。おふたりも無事生還できて何よりでした!
「R18指定の高級ホテルで危機一髪」
河岸 絢子さん(31才、千葉県在住)
オーストラリア、ハミルトン島でのお話。
滞在中は、モルディブのような贅沢感を味わいたいと、旦那に内緒でホテルをランクアップしていた妻。
期待通り、それは、それは素敵なホテルだったのですが、やはり身の丈に合った生活が一番と言うことなのでしょうか。
部屋に到着するや、新居の4倍はあろうバルコニーに興奮した二人。あろうことか、ロックが出た状態で扉を閉めてしまい、そのままバルコニーに締め出されてしまったのです。
プライベートビーチに面するバルコニー下に人通りはなく、訪ねて来るのは、役にも立たない鳥ばかり。
ただね、感心したのは、旦那の懐と度量の大きさ。何とかこの状況から脱しようと対策を練る旦那に、遥か遠くを指差しては、「ほら、あそこに人がいるよ、早く声を掛けなよ!」とせっついたり、「トイレに行きたい」と萎れる妻。
逆の立場だったら、間違いなく切れていますが、優しく頼りがいのある旦那は、妻の膀胱を気にしながら、終始冷静に対応してくれました。
その時間、1時間にも3時間にも感じましたが、妻の膀胱具合から察するに、40分も経っていなかったのでしょう。僅かな動きも危ぶまれ始めた頃、3つ隣のバルコニーに人影が!
我々、普段はShyな日本人ですが、この時ばかりは叫びましたよ。TOEIC350点の英語がどの程度通じたのか分かりませんが、ドアが開かない様子を必死に体現したのも良かったのでしょう。
脱出後、親切にしてくれた西洋人カップルへお礼がしたいと、市内へ繰り出し、ポストカードとお菓子を購入。 用意した手紙は日本語デスクで英訳してもらい、その夜、二人で届けに行きました。
その後も市内やホテルで何度も遭遇し、大きく両手を振りながら挨拶を交わす仲に。最後まで会話らしい会話は出来ませんでしたが、夫婦にとって、忘れられない思い出になりました。
万事順調に運んだことより、失敗談の方が記憶に残るのは、こうした出会いやパートナーの優しさがあったお陰かもしれませんね。
その他の応募作品
新婚旅行のルンルン気分が一転!異国の地で体験した思わず「やってしまった」ちょっと切ないエピソードをご紹介します。
新婚旅行パスポート紛失事件
武田義之さん(60才、仙台市在住)
もう、三十年も前のことだ。新婚旅行はハワイにした。安月給の僕としては、大奮発の旅行である。妻も大変喜び、ルンルン気分で旅立った。
ホノルル三日めの夕方、夕食はホテルではなく、街のレストランでとることにした。
ワインで乾杯をし、大いに盛りあがった。妻の顔も、ワインでほんのりと赤く染まってる。
タクシーに乗り、上機嫌でホテルに帰ったのである。部屋にはいった途端、妻の顔がまっ青になった。タクシーの中に、パスポートを入れたハンドバッグを、置き忘れたというではないか。
さあ、それからが大変だった。パスポートがなければ日本に帰ることができなくなる。
乗ったタクシー会社の名など覚えていない。ほろ酔い気分は、いっぺんに吹き飛んだ。フロントにかけつけ、どうすればよいかを訴えたが、どうにもならない。外に出て、乗車したタクシーと同じ車をさがしたが無駄だった。 楽しかったワインの乾杯もどこえやら、まんじりともせずに朝を迎えた。二人共、すっかりしおれてしまい、頭をかかえてその夜を過ごすことになったのだ。
朝の七時、フロントから電話があり、タクシーの運転士が、ハンドバッグを届けてくれたという。すぐフロントにかけつけ、バッグを受けとった。中には、パスポートがきちんと入っていた。大いに安心し、運転士さんにお礼をいいたいというと、忘れ物を届けるのは当然だといって、名も名のらずに帰ってしまったというのだ。
世の中には、このような善意あふるる人もいるものだ。まして他国でのことである。地獄に仏とは、このような時のことをいうのだろうか。ただ、ただ、感謝あるのみ。フロント係に最敬礼をして受けとった。
三十年前の新婚旅行パスポート紛失事件。あの時の苦い思い出が、つい昨日のように思いだされる。
初めて使ったインドネシア語
田中弥和子さん(32歳、神奈川県)
海好きの彼と、アジアン雑貨が好きな私が新婚旅行に選んだ場所は魅惑の島バリ。お互い初海外にテンションMAX!!
彼はバリによく行く友達に現地の様子を聞いたり、私は「旅の指差し会話帳」で簡単なインドネシア語を勉強。パスポートも作ったし、スーツケースも買った。荷造りも完璧。
行きの成田空港には早めに到着。彼は旅行先で写真を撮るのが大好きだから早々にデジカメを取り出し、記念にパシャリ。勿論飛行機の中でもカメラは必需品。窓からの景色や出てきたご飯まで写真に収めていた。
国内線にしか乗った事のなかった私には7時間というフライトはとても長い感じがしたけれど彼と雑談したり映画を見たりそれほど退屈することなく現地に着いた。
訪れたのはデンパサール国際空港。初めての外国に圧倒されながらも流れに身を任せ到着ビザを順調に取得。次に入国手続きの長い列に並び待つこと30分。もうちょっとで私達の番。そんな中彼はここでも戯れにカメラで1枚。
パシャリ。
「Hey!!」
その時です。係員のおじさんが彼に手招きをしながら叫んだ。
そう。私達は知らなかったのだがそこは写真撮影禁止の場所だったのだ。
カメラを渡すようにジェスチャーをしてからおじさんは彼に一言。「Come back」私だけ通され、彼は列の後ろに並ばされた。罰ゲームにもう一度この長い列を最初から並べというわけだ。
異国の地で1人ポツンと待たされた私は心細くてたまらない。待つこと30分。ようやく彼が列の先頭に来た。
おじさんは画像を消したことを確認するとカメラを返してくれた。
私は彼に歩みより、「ミンタ マアフ」とおじさんに頭を下げその場を去った。
初のバリ島、初の海外、初めて現地の人に使ったインドネシア語が「ミンタ マアフ(ごめんなさい)」になろうとは。それは私にとって忘れることのできない言葉になったのだった。