まさに、おふたりの結婚生活の方向性が決まってしまった瞬間という感じですね! 男性編集部員は「う~ん、深い……」とコメントし、女性編集部員は全員「ある、ある」とうなずいていました。ドイツ語はだめでも、その後、ご主人が「ステキ!」に見えた場面はきっとたくさんあった……ことを祈るばかりです。
「新婚旅行は人生の旅立ち」
田中浩江さん(49才、長野県在住)
もう二十三年も前の話です。
私二十六歳、夫は二十四歳。いつも年上で両足に金の草鞋じゃあ重すぎて、苦労すると夫の両親に反対されながらの結婚でした。
大学で数学を専攻して、見た目太川陽介似爽やかなソース顔の次男坊。私にとっては理想の結婚でした。
二人が乗った飛行機は、ドイツ行きのノースウエスト航空機。これから二週間のドイツ・オーストリア・スイス・パリです。背の高い美人のドイツ人キャビンアテンド達はとてもステキで親切です。
飛行機から見降ろす日本の地は目新しく、これからの二人の新婚旅行に相応しい。この青空は二人のため。何もかもが、ステキに見てしまう。それが『新婚旅行』と言う名の魔法です。夫となった彼も今までステキに見えていました。私は、本当に幸せだと思えたのです。
「何かお飲み物は?」
もちろんこれは英語です。素敵なキャビンアテンダントが聞きます。
「ミルク、プリーズ」
「ビアー」
私の答えに、不覚にもビールが差しだされました。日本人の「ビール」の発音は「ミルク」に似ていると教育されたのです。
「お前の発音が悪いんだ。俺は大学でドイツ語を第二言語で選択した。ドイツ語で俺がミルクを注文するから交換しよう」
何て頼りになる、知的でステキな旦那様なのでしょう!本当にステキ!
「ミルヒ」
夫のドイツ語に応じて差し出されたのは、もう一杯の「ビアー」でした。
私の夫へのガッカリは、この結婚への『ステキ』を一瞬で『現実』に変えた物でした。
その後、今まで私はこの一件を盾に夫から主導権をもぎ取り続けて居ます。夫の両足に鉄の足輪を装着した瞬間でした。これがまさに私たちの、いえ夫の人生の旅立ちだったのです。
その他の応募作品
惜しくも入賞は逃しましたが、本当にステキな旦那様から「ステキ??」な旦那様まで、
ご応募いただいた作品を紹介します。
あなたの横顔
小山美佐江さん(57才、埼玉県在住)
銀婚式のお祝いに、旅行に行くことに決めた。行先は、北海道。新婚旅行と同じコースをたどってみることにした。
息子が羽田空港まで送ってくれた。こればかりは、新婚旅行と違う。新婚旅行の時は、この子は影も形もなかったんだから。
でも、これからの三日間は、新婚旅行。うきうきしながら空の人となった。千歳空港を降り立ち、道東を回るバスツアーに。これも新婚旅行とは違う。あの時は、早く二人っきりになりたくて、レンタカーだった。
もう、北海道の大地を運転していく元気はなく、今回は、バスのお世話になることにした。阿寒湖で、まりもを見た。摩周湖は、晴れていた。霧がかかっていることの方が多くてこんな晴れてることは滅多にないと、バスガイドさんが「みなさん幸運ですね。」と言ってくれた。夫は「新婚旅行の時も晴れていたね。」と言ったが、生返事をする。
知床半島に着き、木道を歩く。熊が出るからと、鈴を渡される。「新婚旅行の時は、熊の心配はしてなかったね。」と夫。これにも生返事。
北の大地を、バスは走る。次の場所に移動するのに何時間もかかる。やっぱり北海道は広い。バスの車窓から、大地を眺め、夫は懐かしいと連発する。私が夫の懐かしいという言葉に、同調しないことをいぶかってついに聞かれてしまった。
「覚えてないの?」
物覚えがいい方ではないので、それもあるけど、今思えば、新婚旅行の時って、ほとんど景色は見ていなかった。
「いったい何を見てたの?」と問う夫に応えた。
「運転する、あなたの横顔。」
思い出深いグアム旅行
大恵宣樹さん(56才、三重県在住)
私と妻の和子は五十二歳と四十九歳の晩婚であり、宗教もクリスチャンと日蓮宗と異なる関係もあり、結婚式や披露宴は行なわず婚姻届を二人で提出するだけの簡単なものとした。「新婚旅行」はすこしぜいたくに海外旅行にすることとした。
二人で旅行社へ行き、カウンターに座り相談に乗ってもらった。
「新婚旅行となればやはり南の島、ハワイなどいかがでしょうか」
「私はヘビースモーカー、飛行機の中で六時間も八時間も禁煙するのは耐え切れない」
「それならハワイの半分以下の距離にある、グァムやサイパンはいかがでしょうか。特にサイパンは戦争遺跡も多いし、当社ではサンゴや熱帯魚だけでなく水没した飛行機も見ることができる潜水艦に乗れる特別のツアーを組んでおります」
私は「それはいい、三時間ぐらいならタバコも辛抱できそうだし戦争遺跡も多く残るサイパンにぜひ行きたい」旅行社に手付け金を払った。
二人は待ちに待った新婚旅行の日、妻の実家に近い伊賀上野駅からJR線で天王子へ出、そこから関空行きの特急はるかに乗り替へ着く。空港の最後のタバコの吸える場所で三本程まとめてタバコを吸いだめし飛行機に乗り込む。
約二時間でサイパンに着く。空港に着くなり喫煙のゆるされたカフェテラスに入りコーヒーもそこそこに続けて二本程タバコを吸った。
サイパンに到着した日はホテルのプライベートビーチで半日過した。私は十年以上前に買ったペンタックスの一眼レフで妻を撮るふりをして、近くにいる若い女性の水着姿を撮りまくった。
二日目はいよいよ潜水艦乗艦である。砂地の海底のあちこちのサンゴがありその周囲には色あざやかな熱帯魚が泳いでいる。さらに進むと前方に飛行機の残骸が見えてきた。「ゼロ戦二一製だ」思わず口に出した私はカメラのシャッタを何度も切った。次いでアメリカの戦闘機F6トムキャットの残骸が見えてき飛行機の残骸をいくつか見た後、一隻の沈船が見えてきた。「松型駆逐艦だ」私は思わず口をついた。
三日目はホテルのバスに乗りバンザイクリフやラストコマンドなどの戦跡を巡ぐった。三日目の午後飛行機に乗って帰途についた。たった三日間の短い旅行であったが、二人にとって思い出深い旅となった。
まだかわいいところがある
北原 明良さん(60才、千葉県在住)
今年の四月で真珠婚の三十年目を迎えた中年夫婦である。新婚旅行は当時「いい日旅立ち」の歌が流行しており、そのテーマの場所、萩、津和町、そして私の名前が明良(あきよし)なので秋吉洞もプランに入れた、中国、四国地方の五泊六日の旅。
山口線で津和町まで蒸気機関車で行き、初めて乗るという事も窓をあけていたせいか、トンネルを抜けると二人ともススで私の髪の毛薄しが増毛になり、妻も口ヒゲをはやしていた。又、萩市内では旧跡めぐりのサイクリングコースを選んだ。途中までは一緒だったが見合いで六ヶ月には結婚していた事もあるのか、私はあまり妻のことを知らなかった。歴史とか自転車は苦手という事が当日分かった。時間をかけて、将来の事を話しながら巡った。
秋吉洞では入り口で写真をとり、それを拡大して今でも室に飾ってある。そして出口のみやげコースで洞窟内の石で標札を作る職人さんがいてお願いし、現在も門に埋めてある。今までに幾多お互いに気まずい雰囲気もあったが、この標札を見る事によって当時を思い出し、神社みたいなものになっている。
私達は大相撲が好きである。私は小柄な力士、妻は大柄な力士。元境川親方の鵜羽山関のファンであり、生家まで観光バスを利用した。しかし私達以外にお客さんもいなく、なんとなく二人で相撲を取っていたら、降りる際に一礼をし、すると運転手さんが気さくな人で「只今の勝負取り消し」と言って私達は赤面した。
真珠婚の日は、夕食、バラ一本そして一粒入ったブレスレットを妻にプレゼントした。妻曰く「そんなにムリしなくてもいいのに。」と苦笑していた。しかし、この頃は、私のわからない所で右手にはめて外出しているようである。まだかわいいところがある。
貰えなかった津軽箸
植田尚宏さん(69才、北海道在住)
私が結婚したのは昭和三九年十月。この年は皇太子様の結婚パレード、東京オリンピック開催と世は祝賀ムードに沸いていたのです。私達夫婦も当時としては画期的な新婚旅行に出かけました。
大阪発青森夜行寝台急行日本海に飛び乗り一路青森へと十六時間の長い旅となりました。駅弁を楽しみやっと大館駅に到着したが地理不安のため駅員さんに行き先を告げると親切にバス停まで案内してくれました。
バスに揺られること三十分、最初の目的地浅虫温泉の旅館の扉を開くと「大阪からよう来てくれて」と仲居さんの笑顔に出迎えられました。温泉はさすがに新婚なのか夫婦二人での入浴はできませんでした。
夕食時私はそっと仲居さんの手に五百円札一枚を渡す。さも申し訳なさそうに何度も頭を下げる仲居さん。それ以来サービスはぐっと上昇、いたれりつくせりのおもてなし。北国の早い秋を感じながら心ゆくまで食べ飲みました。
だが問題はこれから起こるのです。翌朝食時、係の仲居さんが食事を持ってきてくれた。これまた昨夜に負けぬ劣らぬ豪華なカニづくし。
「お客さん今日お立ちですね。食事の後にお二人に記念のお土産お持ちしますね。」と仲居さん何やらニヤニヤ。食事も終わり出発準備をしていると再び仲居さんがやってきて私にこう言いました。
「ご主人様、昨夜のお床の具合はいかがでしたかいい思い出になりましたか」。言っていることは理解できたが私は正直に真実を話したのです。「いや、すっかり酔っぱげて朝までぐすりねましたよ」「なにもなかったの」と不思議そうに私の顔をのぞき込む。と、その時持ってきたお土産の一つを胸にはさみ一つを妻に差し出したのです。津軽塗りの立派な箸でした。
私もと手を出すがだめ。新婚初夜に新婦を無視して寝てしまうとは何事ぞと言わんばかり。結局私には津軽塗りのお箸の願いは認められませんでした。寂しい新婚初夜の出来事でした。