入賞作品

結婚式の準備や当日の疲れで、新婚旅行中に体調を崩されるカップルは多いようです。ずいぶん無理をされて辛かったことと思います。そんな時の旦那様の気遣い、うれしかったですね。こんな旦那様なら、この先も安心!

「モニュメントバレーでフィーバー」

西崎 真由さん(45才、東京都在住)

ハネムーンだからと奮発して高級SUV車をレンタルしたが、ラスベガスから600?のロングドライブは挙式と夜遊びの疲れもあってか、助手席に座っているだけでもかなりこたえた。額に手をやるとアリゾナの太陽に負けないくらい熱い。39度くらいあるのだろうか?日本から体温計を持参しなかったことを後悔した。

「しんどいねん。熱あるみたい。」と何度か伝えようとしたが、憧れのアメ車を嬉々として運転する旦那の横顔を見るとネガティブなことは言い出し難く、不調を隠すためひたすら笑顔を作るように努めた。

昼過ぎにモニュメントバレーに着いた。旦那が手配してくれたザ・ビューホテルは屈指の眺望を誇るホテルだが、沙漠の乾燥した空気と刺すような日差し、独特の赤い沙漠は今の私には不快だった。一刻も早く部屋に入りたかったが、チェックインまで時間があるためレストランへ行った。旦那のチョイスはテラス席とチリビーンズ。西部劇の舞台と赤いスープは絵になる組み合わせだったが、私の食欲はわかず、さすがに不安になってきた。

モニュメントバレー新婚旅行
(写真はイメージです)

チェックインを済ませ部屋に入った途端、私のやせ我慢は限界に達しベットに倒れこんだ。昼食後に旦那がトイレに立った隙にホテルの売店には薬を置いていないことを確認していたので、このまま横になって休むしかないと薄れてゆく意識の中で判断した。

どれくらい眠ったのだろうか。物音に目を覚ますと旦那が薬と水を持って立っていた。

「病院はあらへんけど、車で30分のところにあるスーパーに売っとるとフロントで教えてもろてん。」

異国の地でひとり車を走らせ薬を探してきてくれたのだ。私の目から涙が溢れた。感激と感謝と安堵、他にも様々な感情が混ざり合ってうまく表現できないけれど、「この人と結婚して良かった。」と強く心から思った。

窓の外ではモニュメントバレーの荒野が夕焼けに染まり、昼間とは違う、神秘的で優しい美しさを放っていた。

その他の応募作品

本当に頼りになる旦那様から頼りにならない旦那様まで、ご主人にまつわるエピソードをご紹介します。

今も変わらない夫のさりげないやさしさ

棚橋すみえさん(62才、高知市在住)

結婚式を挙げたその夜、私たちは夫の運転するオンボロ車で三泊四日の新婚旅行に旅立ったのです。行先は当時、新婚旅行の定番だった九州ー。真夜中のフェリーに乗車し、朝焼けの佐伯港に着いたときは二人ともクタクタ。でも、初めての九州に着いた喜びで、疲れもすぐに吹っ飛び、私たちの行き当たりばったりの旅が始まったのです。

なにせ、新婚旅行のプランを考えるとき、夫が「気に入った所で泊まろうか」と言い出し、三日間ホテルの予約等は全く無し。でも、本当に夫の言う通り気に入った所に泊まれたし、駆け足だけど、九州の雄々しい自然と湯煙のある風景は私の気持ちをほっとさせてくれたのでした。

けれど、そんな幸せな気分に浸りながらも、私は心のどこかでずっと母のことを気にしていたのです。

ホテルに着く度(お母ちゃん、まだ仕事しゆうろうか)と、家で一人忙しくしているだろう母のことをまず想ってしまうのです。私が生まれてすぐに父が病死、その後一人で酒屋を切り盛りし、私を育ててきた母ー。そんな母は私にとってずっと唯一無二の存在だったから……。

でも、新婚旅行中だけに、さすがに夫の手前実家には連絡しかねていました。
夫は多分、そんな私の思いを察していたのでしょう。毎晩、部屋に入るなり「実家に電話してくれっほら、お母さんやきはよう出えや」と言っては受話器を手渡してくれるのです。それも三日間ずっとー。

あれからはや四十年近く……。母も二十年前に逝きましたが、あのときの「旅行楽しんできいや」と言った母の弾んだ声は今も耳に残っています。そして、旅行中は何より私の気持ちを癒してくれた夫のさり気ない思いやりは今も変わることなく続いているんです。出来れば、もう一度九州にいってみたいなあ。

デジタルカメラがあったなら…

楠畑正史さん(68才、大阪府在住)

「うわあ、なにこの写真!!ジュリーも空港ビルも海の中に立ってる!!」
カメラ店でプリントして持ち帰った新婚旅行の写真を見て、妻は素っ頓狂な声をあげた。

もう三十九年も前のことである。新婚旅行をグアムにした私達は、互いに初めての外国ということもあり、現地で沢山の写真を撮った。当時は当然今のようなデジタルカメラなどはなく、三十六枚撮りのフィルムを自分の手でカメラに入れなければならなかった。そしてそこで私は大失態を演じたのだ。

一巻を撮り終えて、新しいフィルムを入れる際に、その悲劇は起きた。終わったフィルムを出すために最後まで巻く時、少し端っこを残して取り出した。その結果、それは次の新しいフィルムと全く区別のつかないものとなったのだ。
新しい箱から既に出していたフィルムを「入れた」はずが、さっきカメラから取り出したのを、もう一度「入れた」のだ。かくして、グアムの海や風景を撮っていたフィルムは、次の被写体との二重撮りの運命を背負ってしまったのである。

その被写体は大切なものだった。なんと当時人気絶頂のジュリーこと沢田研二さんが同じ飛行機で帰るため、空港にいたのである。同じツアーの新婚さんの女性たちはこぞってジュリーと並んで写真におさまっている。当然私の妻もそうだった・・・。その大切な写真が幻想的な二重取りとなって今、目の前に何十枚も並べられている。みんなすこしボケている感じで、なにがなんだかよく分からない。

妻は怒りを通り越して、あきれ果てて笑っている。私も同じでもはや笑うしかないのだ。

あれ以降、私は撮り終えたフィルムは完全に巻き切ることにしたのは当然だ。それにしてもあの当時デジカメがあったらなあ・・・。

喧嘩するほど仲がいい?

細江隆一さん(44歳、岐阜県)

新婚旅行はシンガポールとマレーシアに旅した私たち。けれど、初日から喧嘩、喧嘩の連続で、波乱の幕開けでした。

喧嘩の原因はまず、夫の英語力が思ったほど無かったこと。私は外国人と対等に会話ができるレベルだと信じていたし、夫も「オレは英語は得意だから」と公言していたので、旅行中の会話は夫に全て任せようと思っていました。

ところが、蓋を開けてみると、夫の英語力は本当に基本的なことがわかる程度でした。店では店員に何度も「パードン」を繰り返して嫌がられていたし、いざこっちから相手に伝えるときには、私でもわかる単語をミスして笑われていました。(例えば「ディフィカルト」と「ディファレント」を混同してしまったなど)。書いてある看板の文字がわからず、けれど夫はプライドがあるのでわからないとも言えず、おかげで私たちは道に迷ったこともありました。これで喧嘩にならないはずがありません。

私たちは初日にまずこれで喧嘩をしました。

二日目。目覚めた私はシャワーを浴びました。ドライヤーを使おうと変圧器を差し込んだら、ドライヤーがボンと音を立てて壊れました。原因は夫が持ち込んだ変圧器が対応できないものだったからでした。幸いドライヤーはフロントで借りられましたが、夫と喧嘩になったのは言うまでもありません。

三日目。もっとも激しい喧嘩がガイドさんの前で起こりました。それまで私の嫌みに耐えていた夫がついに爆発して、「お前とは離婚だ!」と叫んだのでした。さらに、私に殴りかかろうともしました。そのキレた夫を止め、気持ちを静めてくれたのは、女性のガイドさんでした。「新婚旅行なんだから、楽しい思い出を作りましょうよ」の言葉に、夫も渋々従っていました。

あれこれあった新婚旅行でしたが、いまも私たち夫婦は不思議なことにラブラブです。




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